
しばらくお留守番だったので、ご機嫌ナナメなヘチャ

主人が居ようと居まいと関係ないウス。
我が家の同居猫「ウスとヘチャ」です。勤め先の社長さんから一時的に預かったのですが、返すのが嫌になり・・・そのまま一緒暮らし続行中です。推定年齢12歳どっちもメス。

しばらくお留守番だったので、ご機嫌ナナメなヘチャ

主人が居ようと居まいと関係ないウス。
我が家の同居猫「ウスとヘチャ」です。勤め先の社長さんから一時的に預かったのですが、返すのが嫌になり・・・そのまま一緒暮らし続行中です。推定年齢12歳どっちもメス。

島根に住む祖父に連れられて、出雲大社へ。
・・・の前に稲佐の浜で身を清めて行きんさい・・・とのこと。

子供の頃、私はこの浜で泳いでたらしい・・・全く記憶にないんですけどね。

この島は、弁天島。この下で身を清めよう・・・と言っても手を濡らすだけですけどね。

いざ、出雲大社へ。ありゃ・・・御仮殿?



先週末に、母親の実家島根へ行ってきました。子供の頃はしょっちゅう行ってたんですけど、大人になってからは、ほとんど行ってませんでした。ほんと島根は、ええとこです。
島根県出雲市大社町にある稲佐の浜は、国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐の小濱」(『古事記』)、「五十田狭の小汀」(『日本書紀』)などに登場。また、日本の渚百選にも選ばれている。稲佐の浜の中心には弁天島があり、現在は豊玉毘古命を祀っている。
出雲大社本殿の御修造は、平成25年5月までの予定。詳しくは出雲大社HP。

鳥取県米子市にある皆生温泉へ。温泉施設の前には、皆生海岸が広がっていました。

冬の日本海は荒々しく

風もきつい。


夜には雪がパラパラと降っていました。
wikipediaより
皆生温泉(かいけおんせん)は、鳥取県米子市(旧国伯耆国)にある温泉。弓ヶ浜の皆生海岸に面する東西1000m、南北400mの狭い範囲に大型ホテルを含む宿泊施設が集積する。その収容規模は約5000人で、山陰最大級である。

京都下京区では時折、遠くから「ポォォーッ」という音が聞こえてきます。
おそらく、京の街の何処かに銀河鉄道999が到着したんでしょう。






汽笛の音の大きさにビックリ。実際に動いている機関車に乗車することも出来ます。



1972年、国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念して京都府京都市下京区観喜寺町にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設。蒸気機関車の動態保存を目的とした日本初の施設である。現在はJR西日本が引き継いでいる。蒸気機関車は全部で19両保存。動態保存車両は7両あり、うち5両は現在も車籍がある。SLやまぐち号やSL北びわこ号も運転が無いときは、この場所で検査・修繕を受け、展示されている。

江戸時代、各藩の弓術家達が矢を射る「通し矢」の舞台となった三十三間堂。
今日では、その伝統に因んで弓道をたしなむ新成人達が行射します。
振袖袴姿で弓を引く姿は、とても凛々く、美しい。


ググッ。

パスン。


頭痛もちじゃないですが、頭に法水をかけてもらいました(楊枝のお加持)。
正式には蓮華王院。1164年、鳥部山麓にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進。一度、焼失したが1266年に再建。その後、四度の大修理を経て750年間護持されている。お堂は、南北に118メートルあり、お堂正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれている。堂内には千手観音坐像を中央に1001体もの観音像と共に風神・雷神、観音二十八部衆の仏像が祀られている。

「この辺は、ええとこでしょ。あんた学生さん?そこのアパート部屋空いてるよ、どう?」
「おばあちゃん・・・私は社会人でアパート間に合ってます」
こんなお茶目なおばあちゃんと出会える・・・かもしれない仁和寺です。

嵐電「御室仁和寺駅」 近畿の駅百選に選ばれている。


ギロッ。







うむ・・・。
京都府京都市右京区御室にある仁和寺。1994年に世界文化遺産に登録。光孝天皇が創建に着手した後、888年に宇多天皇が完成させた。宇多天皇は退位の後、僧坊を営んだ。法皇が御座する僧坊ということから「御室」。後に仁和寺周辺の地名となった。応仁の乱で全伽藍を焼失、その後江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建。遅咲きの桜の名所として有名な「御室桜」(名勝)が有名。

京都市右京区の嵯峨野にある広沢池では、毎年12月に入ると池の水を抜く「鯉揚げ」という収穫行事が行なわれます。
なのでこの時期は、水がほとんどない。どうです?水がない池ってのも、なかなか風情があっていいもんでしょ。


立て看板からして、そう深くない池。

鯉や鮒の直売。最後の「○び」が何だったのか気になるところ。



辺りには田園風景が広がり、時代劇の撮影でよく使われている。

野菜も売ってました。何か買えばよかったと・・・後悔。



京都市右京区の嵯峨野にある広沢池は、989年、寛朝僧正(宇多天皇の孫)がここに遍照寺を建立したときに造られたものと伝えられるが、一説にはこの付近一帯の用水池として掘られたものともいわれている。平安時代に作られたこの池は、遍照寺と共に廃れて行ったが明治時代に、地元の人々の協力で修復された。古くより月の名所として有名で、多くの歌人によって数多くの歌が詠まれている。
『やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池』ー西行法師ー